平成10年、菊本さんに歩行訓練で関わらせて頂きました。10年余り透析に通っておられる病院内を「家族の手を借りないで一人で歩けるようになりたい」と始めた訓練でした。最初の頃は、西病棟の端から東病棟の端までの距離に、途中で休憩が必要な程の体力でしたが、とても前向きに取り組まれ、また、病院側の積極的な協力も得られて、2ヶ月で当初の目的に達しました。
「病院の玄関から一人で病室まで行けるようになっていたんですよ。透析室へ入り、パジャマに替え、ベッドにシーツを敷いて、全部一人で出来るようになって信じられない位です」と、家族の方から近況を伺って、深く感動しました。
点字の触読に関しても、上村千津子さんの指導を受けて、短い時間で広報なども読めるほどに上達されて、便利に活用されていたようです。コンピューターシステムエンジニアとして、第一線で活躍されていた菊本さんは、パソコンも勢力潤さん達の協力を得ながら、非常に積極的に研究され、「REVIネットにお世話になったから、恩返しにREVIネットのソフトを作るからね、楽しみにいていて」と、上村さんによくおっしゃっていたそうです。
一度に沢山の障害を負う立場になっても、決して愚痴を言わず、反対に家族の愚痴を黙って聞き、なんでも相談に乗り、どんな時でもどんな事でも助けてくれた優しい人だったから、「この人の為なら精一杯助けてあげたいと思えた」と妹の由美さんの言葉に、菊本さんご一家の愛情に溢れた強い絆に胸が熱くなりました。
第2回総会の日比野清先生の講演を「こんな話を10年前に聞いていたら、自分の生き方も全然違っていたのに。」と悔しがっておられましたが、以後の菊本さんは、沢山の方と知り合って、沢山の情報を吸収し、とても生き生きと意欲的に、ご自身の世界を拓いていかれました。又、菊本さんの要望に、積極的にパワフルに、走り回って下さった上村さんの協力が大きな力になっていたと思います。
REVIネット発足以来、活動の全般に亘って好意的に評価をし、行事には参加したいといつも思っていて下さり、ずっと応援して下さった心強い存在でした。
周りの人達を支えて、愛し、愛され、そして尊敬されて、多くの人達を温かい気持ちにして下さった、素晴らしい一生だったと思います。(宮本 治子記)